天啓を得た防災事業
高校卒業後、造船所に就職していた小川氏は、FRP(繊維強化プラスチック)の加工でアイディアを形にするモノづくりで一旗あげようと27歳で独立して現・土佐レジンを設立した。苦労を重ねながらも、漁船の改修や養殖用の水槽、モニュメント製造などを展開し、社員を9人にまで増やしてきた。事業がちょうど波に乗り出したさなかの1999年、当時46歳にして咽喉がんを患い余命3カ月と宣告された。「もはや手の施しようがない状態と医者から告げられ、大泣きして、自殺も考えた」と小川氏は振り返る。高校時代から大好きだったギターに打ち込み気を紛らわしながらも、残された人生をどう生きるかを考えた。
発病から10年ほど経ったある日、奇跡が起きた。体からがんが消えていた。生かされた命を社会のために役立てなくてはいけないと決心し、防災製品の開発を始めた。
移動式の風呂で被災地を支援
2010年には、被災地でも、水を循環ろ過して使える移動式の風呂「アソットバス」を開発。材料費だけで100万円を超え、高額のため一般販売はしていないが、川やプールの水をろ過しながら、いつでも清潔な状態で入浴できる。アソット(ASOT)は同社の防災ブランド名。土佐(TOSA)の名前に由来する。その半年後に東日本大震災が発生した。発生から20日後、「避難所でお年寄りの方が風呂に入りたいという話を耳にして、軽トラックと一体となったアソットバスで、17時間をかけて被災地へ向かった」。
被災者の声から製品開発
宮城県内の各避難所を移動しながら2カ月にわたり、入浴や足湯のボランティアを続けた。東松島市の赤井地区は、津波で定川が氾濫し、住民が避難していた体育館にまで水に浸った。このとき「ボートがあればよかった」という避難住民の言葉が胸に残り、普段は収納していて、いざというときに広げてボートとして使うことができる折り畳み式ボートを発案した。2012年、工具を使わず組み立てられるボートの試作1号機が完成するも、強度が十分にはでず、救助で使えるようなものとは程遠かった。同年には、糟糠の妻が胆管癌を患い60歳で亡くなったが、悲しみを乗り越えながら改善を繰り返し、2016年に、現在の折り畳みボートが完成した。
小型船舶で乗員は2名だが、最大積載量は280キロ。普段は、防災用品などの保管庫として活用し、災害時には救助や物資の輸送に使うことができる。工具を一切使わず、大人二人で3分ほどで、簡単に組み立てることができる。これまでに東京や愛知など全国で約94艇を販売した。高知県内では、消防団や高校などに配備されている。
小川氏は、自らが携わる事業を5Kと呼ぶ。有機溶剤などを使うため、危険(1K)で汚く(2K)、臭くて(3K)、ガラス繊維が肌に刺さるため痒い(4K)、そして給料も安い(5K)。それでも、自分の考えたものを形にする楽しさ、そしてそれが人のためになることにやりがいを感じている。その楽しさを従業員に伝えている。
2016年の熊本地震でも、アソットバスを被災地に運び、入浴ボランティアに当たった。その後は、地震などで転んでも燃料がこぼれない、農業ハウス用の重油タンク「アソットタンク」の開発も行い、県内各JAに700台を販売。
生かされた命をどう社会のために使うか、挑戦は終わらない。